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エルサレムの攻囲戦 (1099年) : ウィキペディア日本語版 | エルサレム攻囲戦 (1099年)[えるされむこういせん]
エルサレム攻囲戦()は第1回十字軍の主要な攻城戦の一つ。1099年6月7日から7月15日まで、聖地エルサレムを舞台に戦われた。最終的には十字軍がファーティマ朝軍を破り、聖地を占領することに成功した。 == 背景 == 1098年6月にアンティオキア攻囲戦を成功裏に終えたものの、十字軍は半年以上アンティオキア周辺のシリア北西部から先に進まなかった。対立する諸侯同士をまとめる役を担ってきた教皇使節アデマールはアンティオキア陥落後に蔓延した疫病で没し、次の行動をどうすべきかをめぐる諸侯の際限ない諍いを止める者も、行軍の指揮を執る者もいなくなった。タラント公ボエモンは自分がアンティオキアを領有すると言い張り、ブーローニュのボードゥアンはエデッサを占領したまま出てこなくなった。十字軍はアンティオキア周辺の農村や小都市を襲うばかりで、ボエモンらに不満を募らせていたトゥールーズ伯レーモン(レーモン・ド・サンジル)も1098年冬にマアッラ攻囲戦でマアッラを落としたが、貧しい騎士や歩兵や非戦闘員らは、いつまで経ってもエルサレムへ向かわないレーモンらを非難し、諸侯ら抜きで行軍を再開すると脅して突き上げた。
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Siege of Jerusalem (1099) 」があります。
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